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世界を旅しようと思った理由

  • 学生時代から会社員時代の価値観の移変り
  • 2015年6月26日
  • 読了時間: 9分

初投稿。

画像は地元福岡にあるカフェ。記事とは全く関係ないです!

個人的によく撮れたので見せびらかしたいだけですw

P1030889.JPG

なぜ世界を旅したいと思ったのか。

理由はかんたんです。

死ぬまでに絶景みたいやん

!!(北九州の方言たまに出ます)

ああ、なんだ、現実逃避タイプか。。。。と思われるでしょうか?笑

以下、簡略な自分史なので興味がない方は読み飛ばしていただければ。。。

つつみ隠さず言いますと

高校を卒業して2年間浪人してます。

とにかくやりたい事が見つからなかった。(見つけようともしなかったかも)

そして、『ものづくり』に携わりたい!という意思から無理矢理こじつけた建築の専門学校を選ぶ。

しかし選ぶ理由は『学費が安い』だったりした。

とりあえず理由がほしかった。するべき事を誰かに与えてほしかった。

そんな理由から入った学校の最初の2ヶ月ぐらいは、もうなんか憂鬱で仕方なかった。。。おれなにしとるんやろ。と。

高校時代に数学が嫌いすぎて、数1、数Aしか選択していなかったもんで

建築学の構造解析やら構造力学には苦戦した。

S造(鉄骨造)建築の構造解析の授業は、本当に灰になったようにポカーンと受けていた。え、なにこれ呪文?っていう感じの公式の数々。。。

でもそんな中でも楽しい授業はたくさんありました。

構造力学も先生の教え方がうまく、理解すると楽しい。

ソフトを使って商業施設をデザインするのも楽しい。

図面書くのも楽しい。

友達も出来たし、自治会にも入って学祭の企画なんかもやったし。

わりと成績自体も悪くなかった気がします。

だけど心の奥底では分かってましたね。

「一生この仕事がしたいわけではない」って

特に私の学校は施工管理っていう、世間で言う現場監督を育成する為の学校でした。

造る側ではなく指示する立場です。

そして就職の時期になり、就職先を探していました。

「福利厚生が良ければがんばれるだろう。やっているうちにやりがいを見つけられるだろう。」

まだ、誰かにやるべきことを与えてほしいという状態でした。

ありがたいことに、先生から推薦していただいた一部上場企業に早々に内定をもらい、4月からはゼミとバイトに明け暮れました。いやーあの時期は楽しかった。笑

2月頃に勤務先の支店が決まり、仙台に行くことに。

就活が終わってからというもの、バイトでお金を貯めては一人旅を繰り返していたので、当時まだ東北には行ったことがなかったのでワクワクしていました。

もちろん施工管理という仕事に不安を抱きつつ。。。

でも、やってみなきゃ分からん!てのが結論。何事もそう。それが信条なところが昔からありました。

そして新入社員研修へ

同期は楽しいやつが多かった。

けどみんな言うのは、3年目で辞めるとか、給料がどうだとか、休みがどうだとか言う話ばかりでした。

やっぱそんなもんなのかなあ。。。と思いつつ、他人のことを気にしても仕様がないし、おれはおれなりに頑張ろうと。

研修が終わり仙台へ

未開の地!と思っていた仙台の駅周辺は、何となく福岡(博多らへん)に似ていて親近感があり、先輩も上司も優しくとても過ごしやすかった。

しかし

仕事がハード!!

新入社員なので全っ然ほとんど何もまかされていない状態だったんですが、現場で色々あり、建築現場というものの精神的、肉体的ストレスってはんぱない。。。と痛感した現場でした。

想像を絶してました。周りから、よく辞めなかったねと言われるくらい過酷だったらしんですが、初めての勤務地なので、普通がどれくらいなのかがわかりませんでした。笑

いや、でもとにかく上司の方々が支えてくれたから耐えれた。(先輩には飲みの席でめちゃくちゃ愚痴ったけどw)

それから1月に入り新しい勤務地、福島へ。

過酷!

KA・KO・KU!

どのくらい過酷かと言いますと

精神病にかかってしまいました。照

(後に記述するんですが、このことに関して、会社が悪いとは全く思っていません。)

人の言った言葉が頭に入らない、2分前のことを忘れてしまう、感情のコントロールが出来ない。

現場も18億円ほどの規模で、工期も短いと言われていたため

こんな状態の自分が居たら迷惑なだけだ。自分の為にも、会社の為にもならないと思い、所長にその旨を告げ、会社を辞めさせてくださいと言いました。

感情のコントロールが出来ず、気づいたらぼろぼろ泣いてました。

責任は全部俺が被るから、とりあえず休め。そして病院で診てもらえ。

所長はそういってくれました。

鬱病の一歩手前と言われ、会社から一ヶ月間お休みを頂きました。あのときに廃人の様になった私を気遣ってくれた会社の方々、今でも感謝しています。本当に。

ここで私は自分の「感情」というものの存在を意識するようになりました。

話は飛びますが

実は一年目の正月に帰ったときに、茨城の親戚の叔母が末期がんになったという知らせを受けていました。余命は長くて8月まで。

小学生の時から良くしていてもらい、新入社員研修で東京にいた時も遊びに行き、一年目のお盆にもその親戚宅に遊びにいっていました。長野でご来光みたり、キャンプしたり。

実家が福岡のため、「風邪とか引いたら電話しなさい。近いんやけ。頼りなさいよ。」

「来年も遊びにきなさい。休みができたらいつでもおいで。」

そんな言葉かけてくれるような優しい人で、誰からも愛される人っていう言葉がとても合う人でした。叔父とも中がよく、近所ではおしどり夫婦と有名でした。

なんで。。。

けどどうしようもない、信じられない。電話なんてかけてもなんていえばいい。

そんな思いでいて、連絡を取れずにいました。

精神病にかかり、休暇中に真っ先に会いに行きました。もちろん精神病とは告げず。

叔母はまだ入院はしておらず、外に出かけることに。

目に見えて弱っている叔母に息が詰まる思いでいっぱいでした。

少しのスロープを上るのにも数歩ずつ。数歩ずつ。

「おかしいねえ。こんなに疲れるもんかねえ。笑」と笑いながら。

途中、ベンチに座り

「急に来たけ、びっくりしたよ。でも来てくれてうれしいよ。仕事は大丈夫ね。忙しいやろ。」

「ちょっと身体こわしたけ、休みもらっとる。」とだけいう。

叔父がトイレに行ったのを見計らい、小声で

「頑張りね。おばちゃんも末期がんっていわれたときは泣きじゃくったよ。でも悩んでも仕方ないことは、もういいやってなる性格やけんさ。あんたも深く考えすぎずにね。」

と逆に励まされ、言葉にならずに「うん」とだけ言って、トイレの中で大泣きしました。鼻水垂らしながら泣いた。もう押さえるなんて無理でした。自分を保つことなんて無理でした。

そして福島に戻り、残りの休みは東京に行ったり、同期と会ったり、友達と会ったりして過ごし、一ヶ月をたった位に支店に面談へ。

同じ現場に戻して欲しい。そう支店の上司に言ったのですが、気持ちは分かるが、会社としてそれはできない。君の身体を思っての決断なので分かってくれ。

ということで岩手の現場に行くことに。

...まじか。

さらに北上!未知!行きたくない!(本音w)

未知、といいつつ何もないんだろうなという、希望を投げ捨てた思いで行ったので、近くにイオンモールがあっただけでうれしかった。

岩手では病院を建ててました。

まだ着工して間もなくだったので、検査前とかをのぞけば21時前には帰れたし、先輩と後輩との3人暮らしだったけど、家は広いし、先輩は面白い人だしで、同期とかの話を聞く限りではとても恵まれた環境だったと思います。

とりあえず会社で出会った人たちは本当に大好き。

しかし「仕事」と「自分」というものへの違和感は拭えずにいました。

自分で言うのもなんですが、物欲がなく、お金はたまる一方。ご飯も先輩がおごってくれる。

岩手なので、そうそう脱出することもできず、そんな中、自分の楽しみが「本」を読むことになって行きました。

当時(2014.6頃)本屋の売れ筋ランキングの棚には「嫌われる勇気」という本が置いてありました。

この本が、本気で自分の感情、人生と向き合うきっかけになった本かもしれません。

興味がある方は読んでみると良いかもしれません。

要約すると

・人の思ってることなんて分からない

・自分が行うことに対して、相手がどのような評価を下すかは相手次第。こちらがどうこうできることではない。

・人生は好きに生きていい。他人の評価を気にする生き方は、他人の欲求を満たす生き方。

・自分が自分で自分の人生を歩まない限り、だれもあなたの人生を歩いてくれない。

・あなたがやりたいことをやればいい。それに対する他人の評価は関係ない(コントロールできない)。

他にも色々な気づきがありました。

何となく、自分は空気が読めるとか、人の考えてることが分かるとか思っていました。

ただこの本を読んで目が覚めました。

『そう思っていただけ』だと。

(ここから心理学にのめり込んで行くんですが、それはのちに記述していきたいと思います。)

そして7月11日、親戚の叔母が亡くなります。享年51歳。

私はここで決意します。自分の人生を、自分の責任で歩く。

人は死に方は選べない。

何となく、明日も生きているつもりでいたから、毎日が消化試合のようで、休みだけ自由。

仕事が楽しくないわけではないけど、心からやりたいわけではない。

正直、業界は世間から言わせればブラックです。

けど、私が本当にこの仕事が好きなのであれば労働時間なんて関係ないはず。

目標があれば頑張れたはず。

つまりは会社に問題があるないよりも先に自分に問題があった。それを認めよう。

好きなことを本気で見つけようとしなかった。

受け身だった。

どれだけ文句を言おうと、今の現実は自分の決断の結果にある。

今からでも自分の道を探そう。

負けを認めよう。意地はってこれからの人生を消化するより、負けを認め新しい道をあるこう。

自分がこの会社にいることが、この会社の為になるとは思えない。

地元を離れて、給料もらって、税金を納めて社会人を気取っていたけど、全く自立していなかった。

浪人までして入った学校

認めてくれた親

会社を推薦してくれた先生

お世話になった上司

身体を気遣ってくれた支店、本社の方々、同期

裏切る形になったことは、本当に申し訳なかった。これも全部自分の責任。

はじめから自分の納得する道を選んでいたらこんな思いもせずにすんだ。

9月末にいったん工事の区切りがつくので、そこまではけじめとしてやり抜こう。

そうして10月末に離職。

その現場の所長も「おまえの人生だからな。後悔ないように生きろよ。」と背中を押してくれた。

昔、その所長も精神病にかかったことがあるらしい。

辞める数日前に最初の現場の所長から電話があった。

「なんかあったら連絡しろ。仕事紹介できるかもしれないから。」この言葉にまた号泣してしまった。

実は仙台、福島、岩手の各所長はみんな同期らしく、私の話をしていたらしい。

人前ではいい子ちゃん、というか単純に建築の知識を知るのは好きだったので、所長達の間では期待の新人だと言われていたらしい。

嘘だとしてもありがたいし、同時に申し訳なく思った。

自分にできるのは、責任もって自分の道を歩くことだな。と。

仕事は辞めたけど、会社で出会った人との繋がりまでは消さない。

これは学生時代からバイト先で出会った人もそうで

仕事を辞める=職場の人とも縁が切れる

とは全く思っていない。

単純な話だ。縁を切るかどうかは自分次第。

そんな思いで岩手を後にしました。


 
 
 

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